シェフ紹介


オーベルジュ・ド・スズキ オーナー・シェフ

鈴木 喜代司

昭和22年東京に生まれる。

神戸の六甲山ホテルで修業後渡仏する。

在仏日本大使館のコックとして勤務。

以後、マキシム、ラセールなどで修業。

9年後、帰国してオランジェリー・ド・パリ(東京 青山 現パピヨン・ド・パリ)の料理長となる。

1986年にオーベルジュ ド スズキを成城(東京)に独立開店する。

2006年8月、軽井沢への移転を決意し一度閉店。

2007年12月、軽井沢にてシェフの気まま料理の店「オーベルジュ・ド・スズキ」を開店。

シェフのフランス修行時代

1972年2月、在仏日本大使館付コックとして、寒いパリに着きました。
時々、首相や皇族方の大宴会があり大変でしたが、中山大使が会議等で日本に帰国中にマキシム、ラ・セール、トロワグロなど、大使の紹介でなければ行けない様なレストランで実習させてくださいました。
3年後、大使ご夫妻が帰国後、マキシムに2年(そこで労働許可証を取得しました)、ラ・セール、メルキュールギャラン、独立前のギー・サヴォアがシェフだったバリエド・クリシー等で修行しました。

私はフランス修行時代に沢山の先輩、友人や、偉大なシェフ、それに妻に巡り会いました。

ゴ・エミ・ヨーの取材で
          酒井さん(ビストロ・パラサ)
          中村さん(ホテル・エドモント)
マキシムで実習の時
          井上さん(シェ・イノ)
ラ・セールで実習の時
          松尾さん(シェ・松尾)
大使館時代、大宴会のヘルプで
          石鍋さん(クイーン・アリス)
          神田さん(守口プリンスホテル)
          熊谷さん(キハチ)
          菅沼さん(グランコントワー)
          皆川さん(スクアール・ビストロ)
お世話になりました。

私は六甲山ホテルで最初にフランスに行ったということもあり、その後後輩が沢山来ました。
          青木さん(鹿児島  シェ・アオキ)
          上原さん(旧オランジェリー・ド・パリ 現パピヨン・ド・パリ)
          熊谷さん(神戸   フランボー)

ラ・セーヌ時代、ソースの神様と言われたデュマ氏にもお世話になりました。
大変変わっていて、変人と言った方が良いのではと思うほどでしたが、確かにソースに関しては天才的で、すでにヌーベル・キュイズィーヌの時代になっていましたが、ソースの基礎を体験できたことは幸せでした。

1980年、パリで結婚しました。
妻の私に対する印象は「苦労しそうだけれど、一生退屈しない面白い人生を送れそう」だそうです。今現在、全くその通りだと言っています。


写真はどれもマキシム時代のもの。


日本に帰国

1981年9月、パリで森英恵先生とお会いして、東京の青山にあるハナエモリビルの「オランジェリー・ド・パリ」2代目シェフとして帰国。


オランジェリー・ド・パリ料理長時代


オーベルジュ・ド・スズキ開店当時

1986年、フランスから上原氏が帰国、オランジェリー・ド・パリ3代目シェフとなり、私は当店を9月3日に開店しました。
成城学園前駅から徒歩2分、カトリック成城教会の前のこの一軒家を見たとき、ここだ!と思いました。まるでフランスの田舎の小さなオーベルジュを錯覚しそうな、私の理想のお店です。


当店開店当時の写真


成城オーベルジュ・ド・スズキ閉店

思うところあり、2006年8月、20年間やってきた成城のオーベルジュ・ド・スズキを閉店しました。最後の日である8月12日、お店閉店時には今までのスタッフやお世話になった方々がお越しくださり、最後のお客様をお見送りするときには、歴代の支配人が一緒に見送ってくれました。皆に愛されたお店をやってこれたのだなあと、感動の1日でした。


軽井沢でオーベルジュ・ド・スズキを開店

2007年12月、ついに軽井沢でオーベルジュ・ド・スズキを開店しました。今までの「フランス料理店」ではなく、「シェフの気まま料理の店」としてのオープンです。席数は10席弱なので、ランチとディナーともに1〜2組ほど、しかもご予約のお客様限定、さらにコース料理のみというかなりわがままなお店ですが、私の感性のままに料理ができるのでとても幸せに仕事をしています。


ご予約は
0267-48-2112
(メールでのご予約は致しておりません。)


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